仙台高等裁判所 昭和26年(う)1151号 判決 1952年4月05日
控訴人 被告人 文屋正一郎
弁護人 逸見惣作
検察官 馬屋原成男関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人逸見惣作の控訴趣意は、その提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、之を引用する。
同控訴趣意第一点について。
原判決が証拠に挙示している原審押収の手帳一冊(証第七号)はその記載内容が証拠とされていることが明かであるから、証拠物中書面の意義が証拠となるものの取調べである故、示すほか之を朗読することを要するものであるのに、原審第一回及び第六回公判調書によれば、之を物証として証拠調の請求があり、その証拠調は証拠物として之を示しているに過ぎないこと所論のとおりである。しかし、記録によれば右手帳の内容は被告人自身の記載したものであることが明かであると共に、前記原審公判調書によれば、原審検察官は証拠物中書面の意義が証拠となるものとして証拠調の請求をした趣旨であることが窺われ、原審弁護人は右証拠調の請求に対し異議がないと述べ、しかもその証拠調にあたり原審検察官が之を示したのみで朗読しなかつたのに対し何等の異議をも述べなかつたことが認められる。してみれば被告人は右手帳に付てはその記載内容を争わず、之を認めたものと推認し得るところであるから、その証拠調の手続の瑕疵は治癒されたものと解するのを相当とする。従て、原判決が所論の手帳を証拠として採用したからとて、所論のような違法があるとはいえず、論旨は理由がない。
同第二点について。
原判決が証拠として掲げる中に被告人の司法警察員に対する第一回乃至第六回供述調書があり、その第四回供述調書は本件犯罪事実と直接何等の関係もないこと所論のとおりであるが、判示事実はその余の証拠により之を認め得るのであるから、右は無用の証拠を掲げたのに過ぎず、之を以て所論のように原判決破棄の理由となすを得ない。論旨は理由がない。
同第三点の(一)及び第四点について。
原判示事実中所論の利息の点については、前記説明の如く証拠となし得る所論の手帳をも含めた原判決挙示の証拠を総合すれば之を認め得るのであつて、記録を精査しても原判決の右事実認定に誤があることは認められない。尤も原判示犯罪中、昭和二十四年十月中門田荘平に対する、同年同月十五日頃武田慶二郎に対する、及び同年同月二十五日佐々木孝市に対する各貸付金の利息についての証拠は、被告人の自供調書のみで補強証拠がないことは所論のとおりである。しかし補強証拠は犯罪構成事実の個々の悉くに亘ることを要しないのであつて、犯罪事実を全般的に眺め、之に対する被告人の自白のほか、この自白の真実性を確固たらしめる他の証拠があれば足りるのである。之を本件についてみるに、原判決は証拠として原判示犯罪事実全部に符合する自白を挙示しているのみでなく、この自白を真実であると信ぜしめるに足りる所論の手帳をも挙示しているのであるから、これ以上なお所論のように補強証拠を必要とするものではない。論旨は理由がない。
同第三点の(三)について。
原判示事実中所論の昭和二十四年十二月二十五日相沢助太郎に金十万円から月一割を天引して貸付けた事実は、原判決の挙示する被告人の自供調書と原審押収の前記手帳一冊中の記載により之を認め得るのであつて、記録を精査しても原判決の右事実認定に誤があることは認められない。右手帳は、被告人が本件犯罪の嫌疑をうける前に之と関係なく、本件その他の貸金関係を備忘の為、その都度記載したものである。かかる記載は所謂自白に該らないものと解するのが相当であり、その真実性と信用性は極めて高度であつて、刑事訴訟法第三百二十三条第三号によつて証拠とすることができるものと謂うべく、しかも独立の証拠価値あるものと認められるので、原判決が前記自白のほか、その補強証拠として右手帳を挙示したことは極めて相当である。論旨は理由がない。
同第三点の(二)について。
貸金業等の取締に関する法律によつて取締の対象とされる貸金業とは、同法第一条に規定する同法の目的精神に照らし考察するときは、反覆して行う意思の下に同法第二条第一項所定の金銭貸付又は金銭貸借の媒介行為を行うことを指称するものと解するのが相当であり、取引上の現実としては、右のような意思の下に右のような行為を行う場合には、通常利息又は手数料その他の名義によつて金銭を徴し利を図る場合が多いであろうけれども、この営利を目的とすることは必ずしもその要件とするところではないと解すべきである。従つて、仮令、一連中の行為の中に金銭の貸付先が親戚又は友人等の縁故貸であり、若しくはその貸付方法が俗に所謂時貸であつたり又特に利息礼金等の支払の特約をしなかつたとしても、苟もこれを業として行つた以上、これ等は同法所定の貸金業者としての行為となさざるを得ない。されば、本件において、原判示事実中所論の業として金銭の貸付を行つた点は、原判決挙示の証拠により之を認め得られ、記録を精査しても原判決の右認定に誤があることは認められない以上は、所論のような事情があつても、被告人が貸金業を行つたと認定するのは少しも違法ではない。論旨は理由がない。
同第五点について。
記録を精査し、そこに現れた一切の事情を考慮し、特にその金額及び回数に鑑みるときは、所論の事情を参酌しても、原判決の被告人に対する量刑を目して不当に重いとは認められない。論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三百九十六条により、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石坂修一 裁判官 檀崎喜作 裁判官 細野幸雄)
弁護人逸見惣作の控訴趣意
第一点原判決には訴訟手続に法令の違反があつてその違反が判決に影響を及すこと明らかである。即ち原判決は事実認定に供した証拠として一、押収してある手帳一冊(証第七号)をあげているがしかし原審調書に徴すれば該手帳は検察官より物証として証拠調の請求があつて(十一丁裏)証拠決定を経その証拠調の方式として証拠物は之を示し裁判所に提出した(二百三十丁裏二百三十一丁)となつて居り刑事訴訟法第三百六条による証拠調をなしたのであつて同法第三百七条の証拠調を経たものではないから右第七号証はその物理的存在のみが証拠資料となり得るのであつてその内容意義は証拠資料となり得ない。しかしその物理的存在自体のみからは如何なる犯罪事実も認定し得る筈はなく原判決がこれを事実認定の資料として採用しているのは明らかにその内容意義を証拠資料となしているものであつてこれは重大な違法と言わなければならない。まずこの点で原判決は破毀を免れないものと考える。
第二点原判決は理由にくいちがいがある。原判決は証拠として一、被告人の司法警察員に対する第一回から第六回までの供述調書をあげているがこのうち第四回供述調書は、公訴犯罪事実と何等の関係もなく従つてこの供述調書からは認定事実の如何なる部分をも認めることは出来ない。このことは右調書を一見すれば自明であつてこの点に於ても原判決は破毀を免れない。
第三点原判決には事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及すこと明であるから破毀すべきものと信ずる。
(一) 貸金に対して利息をつけたとの点について、原判決認定事実中貸金に利息をつけたか否かの点に関して証拠としては第一点に於て述べたように手帳(第七号証)が証拠となし得ない以上第一号証及び被告人の自白の外は各証人の証言があるのみである。しかしこの利息をつけたか否かの点は犯罪事実の重要な部分に関するので補強証拠を必ず必要とすると考えられるがその補強証拠として被告人より金を借りた当の証人自身の証言によれば(1) 証人相沢は(いづれも)利子はつけなかつた(六十三丁)(六十六丁裏)と証言しているのに原判決は昭和二十四年七月五日月利一割引同年九月六日月利五分十二月十五日月利一割天引と認定している。(2) 証人武田は「利子などは勿論つけません(七十八丁裏)「(二回目も)やはり無利子で」と証言しているのに原判決は昭和二十四年七月十六日月利五分九月十五日月利五分と認定している。(3) 証人佐々木は「礼として五分見当で靴の修理代を礼として」(八十八丁裏)「証人の方から進んで」(八十九丁裏)申出たのであつてこれは九月十三日の分も「やはり修理代として」(八十九丁裏)申出たのであり、これらは普通の意味での利子ということは出来ず十月二十五日の分については「忘れました」(九十丁裏)と証言しているのに原判決は九月十三日月利約五分十月二十五日月利五分と認定している。(4) 証人門田は「借りる時利息はとらないということでしたが私は金を返す際利息の代りに品物をやつた」(百三十二丁)「利息を呉れとは言わない」(二回目も)利息は全然支払つていない」(百三十三丁)と証言しているのに原判決は十月中月利一割でと認定している。(5) 証人三浦は「自分から一割の利子を見込んで二万七千五百円の約手を書いた」と証言しておりこれは普通の意味で月利一割で貸付けたことにはならないのに原判決は八月四日月利一割でと認定している。(6) 証人玉川は「無利子で借りた」(二百二十三丁)と証言しているのに原判決は八月十五日月利一割を天引と認定している。以上の原判決認定はことごとく誤りであることは明白である。
(二) 被告人は業として貸付を行つたものではない。被告人が金員を融通したのは極めて親しい友人の切なる懇望による場合と無尽業務の関係から加入者に頼まれた場合とに限られている。熊谷の場合「はじめ五十万円無尽に加入しようとしたが二十万円しか入れないので五十万円どうしても必要だつたので三十万円を文屋から借りた」熊谷証言(七十四丁裏)、相沢の場合は「十七、八年前からの知合で」(五十三丁)「以前文屋が苦境のどん底にあつた際私は利子をつけずに貸したことがあります」相沢証言(五十九丁)、武田の場合は「文屋とは昭和十二年頃からの知合で(七十七丁裏)その頃私は文屋を世話したのでその恩返しのつもりで貸して呉れた」武田証言(七十八丁裏)、鈴木の場合は「給付金が出なかつたため」鈴木証言(百六十七丁)、岡元の場合は「六年前からの知合で」(八十三丁)「無尽給付が間に合わないので」(八十三丁乃至八十四丁)、佐々木の場合「十五年前から親しい仲で」佐々木証言(八十八丁)「私の方から頼んだ」(八十九丁裏)、太田の場合「当時無尽給付が間に合わないので借りたのです」(九十三丁裏)太田証言、門田の場合「私が借りたのは無尽給付があるので」門田証言(百三十二丁)、三浦の場合「二十一年前からの知り合いで(四十三丁)自分から手形を入れ(四十七丁)自分から一割の利子を見込んで借りた(五十九丁)」三浦証言、玉川の場合「十年も前から知つている「二百二十六丁裏」無尽に加入したが給付がなかつたので」(二百二十七丁裏)玉川証言、佐藤の場合「無尽に加入してもらうために」(二百三十九丁)「子供の学費が足りないので借りた」佐藤の証言十何年来の親しい仲であつたり恩返しのためであつたり無尽に加入して貰つて自分の成績を上げるため一部を融通してやつたり自分の勧誘に加入したものが給付がなくて困つているので責任上見兼ねたり子供の修学旅行費がなくて困つている親があつたりした場合是非にと頼まれれば融通の出来る人間なら誰でも一時融通してやるのは人情であつて被告人の場合ことごとくそのような場合である。このような事情の下では普通の人であるなら必ず被告人と同じ行為に出でたであらうと考えられる。このような一つ一つの行為は明に通常の人情に出た好意的行為で何等非難すべきものでないのに拘らずそれが偶々同一事情の下に同一人に数回重復したことを以て直ちにこれを業とみるのは当らない、被告人が特殊な立場にあつたこと融通し得る金員を持つていたこと及び極めて親切であつたことがその回数を多くしたにすぎない、殊に無尽会社の職員が自己の成績向上のため、又客に対するサービスのため一時融通することが往々ありうるし又せざるを得ない事情は証人高橋良治、菅野俊夫の証言に徴しても明であるし被告人も公判廷で「その日でないと役に立たないというような客から責められるので貸さないわけには行かないのです」(二百二十七丁)と述べて居る通りである。この間の消息は証人門田も「借りたわけではなく無尽給付がある迄の間立替えて貰つた」(百三十二丁裏)と明言している。殊に前記の如く利息を附して融通した場合はむしろ少数であり利息をつけた場合でも法外の高利ではなく普通当時私人間に一般に行われた程度のものであり、貸付条件も別に担保をとつているわけでなし取立も決して酷ではなく極めて寛大なものであつた。従つて被告人から金員の融通を受けた人は何れも被告人を所謂貸金業者と考えて居た形跡さえないことは各証人の証言に徴して明かであつて原判決の業としての認定はあまりにも形式的であつて唯回数に幻惑され偶然的事実を本質的事実と見誤つたものといわざるを得ず右に述べた諸々の原因情状条件を実質的に考察するならば営利を唯一の目的とし自己本位な条件の下に行う営業行為とは本質的に区別されるべきものであることは明である。
(三) 昭和二十四年十二月十五日相沢助太郎に金十万円から月利一割を天引して貸付けたことに関しては証人相沢は「忘れました」(九十丁裏)と証言しているのに拘らず原判決はこれを認定しているこれは明に誤認である。
第四点原判決には法令適用の誤りがあつてその誤が判決に影響を及すこと明である。第三点の(一)に於て述べた各所為に於ける利息の点については前にも述べた通り犯罪行為の重要な部分であるから必ず補強証拠を必要とするのに唯一の補強証拠となるべき各証人の証言はこれを否定しているのであるから結局補強証拠は得られなかつたわけである。然るに原判決は敢えてこれを認定しているのは被告人の自白のみによつているわけである。この点で原判決は自白を唯一の証拠として犯罪事実を認定した違法をおかすものといわなければならない。
第五点原判決の量刑は不当である。かりに被告人の行為が業としてなしたものであるとするもそれは第三点の(二)に詳述した如く殆んど期待可能性がないに近いような事情の下でなされたものであり殊に被告人が自ら求めて貸付けたものではなく懇願されてやむをえずなしたものである点被告人自身としてはともかくも深く後悔しそのためにこそ事実を全部明らさまに供述して恭順の意を表していること、従来刑事上の処分など全く受けたこともなく又被告人の性格、身分、財産等から考えてかゝる軽卒な過誤は二度とくり返す虞れは全くないこと並びに被告人は本件のため十幾年間事故なく勤続した三徳無尽株式会社を罷めさせられたこと等を考慮すれば原判決の量刑は不当に重いものと言わなければならない。